当社の歩み | 株式会社コバヨウ

当社の歩み

当社の歩み

昭和20年代

昭和23年5月当時の石油配給公団所有のドラム缶洗浄、修理更生委託専属工場として小林溶接工業株式会社を設立

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創業者:安藤一郎

昭和24年に公団が解散、地元の石油精製業、化学品工場等から洗浄の仕事を受注する。
当時、小林溶接工業株式会社のドラム缶再生事業も限られた顧客先新規の顧客獲得に奔走する毎日でした。

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創業時のメンバーとともに

世の中の暮らしが少し楽になる。市場が固体燃料から液体燃料へ。戦後間もない時期は、燃料といえばマキ、石炭、コークス、練炭が主流でした。
小さいころは石炭殻山でコークス拾いをしたものです。
当然、梱包容器などありませんので全て裸かバラ販売でした。

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昭和30年~40年

高度経済成長期、東京五輪、ビル、高速道路を含む道路の整備化と合わせて大衆車普及と物流も広域化していきます。

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当時のドラム缶運搬の風景

昭和41年~昭和49年

~繁栄と変革~

この頃から液体燃料が主流となってきます。
代表はクルマの大衆車普及、ガソリン、軽油、農機具動力も牛からエンジン付きが開発されていきます。一般家庭へは灯油ストーブ、灯油コンロ等

当社の事業もこれに合わせて石油元売りが販売する燃料のドラム缶再生委託が拡大していきます。
この頃県内にドラム洗浄工場を新崎工場、直江津工場、長岡工場を立て続けに新設しました。
しかしドラム缶再生委託受注も昭和45年以降に石油元売りのドラム缶資産売却により石油販売店、農協の資産として変化していきます。

昭和48年一次、54年二次オイルショックの影響もあり当社は、この頃、再生ドラムの生産本数年間120万本のピークを迎えます。

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当時のドラム缶洗浄

昭和50年~60年代

~運搬容器の変化~

ドラム缶用途の主流が燃料油でしたがガソリンスタンドの乱立と消防法の緩和からバラ配送に切り替わってきます。
つまり、ドラムが不要になり、小口ローリーと備蓄ホームタンクが普及してきます。

中古ドラム販売とその原材料である使用済み原缶を市場から調達する仕組み作りがこの頃スタートします。
当然、当社もドラムの洗浄商売だけでは成り立たなくなっていきます。

ホームタンクの製造販売をスタートしたのもこの頃になります。また、一般の石油販売店、農協がお客様に変化し従来の石油元売り数社から一気に増えることになります。

その他、お客様に合わせた商品アイテムも増やすことで減益をカバーする現在の提案営業スタイルの基礎ができた時期だと思います。

当社の社名小林溶接工業株式会社から株式会社コバヨウに社名変更
LPガス耐圧検査事業、ガスプラント検査工事事業、ミニローリー販売、地下タンク検査業務、小缶販売、ドラムのリース運用、コンテナ製造販売、石油備蓄基地の業務委託等

こんな事業展開も時代に合わせて見切りをつけたもの、更なる変化を続けているもの、新規展開など時代を見据えて更に進化していきます。

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    LPGガス耐圧検査場

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    当時の長岡工場

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    長岡工場メンバーとともに

平成時代

お客様の事業展開も国内全域、海外への進出など運搬容器も多種多様、システム等一層、「QCD」に磨きをかけなければはじき出されてしまいます。
全社一丸で対応してきました。

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30周年記念式典

令和時代

~令和から次の時代へ~

環境対策は、世界問題となり全ての製品、仕組まで求められています。
世の中の仕組みがガラリと変わろうとしている中で当社として何が出来るかその答えと結果を求めて次の時代に生き残れる様に・・・

【主な動き】

  • 果汁容器のレンタル運用を東北を中心とした産地直結で開始
  • 高圧ガス保安協会(KHK)からLPガスプラント検査事業認定を受ける
  • 埼玉のLPガスシリンダー検査工場を子会社化
  • 青森県弘前市に果汁専用ドラムの洗浄工場を建設し稼働
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青森工場